ジャーナリスト身代金問題について〜安田純平解放ニュースより〜

中東で度々起こる「戦争ジャーナリストの拘束」。2015年にはシリアで拘束・斬首された後藤健二さんの痛ましい事件がありました。

こうした事件では拘束する過激派組織から身代金の要求があるわけですが、その度に沸き起こる「自己責任論」。

僕は断固反対です。彼らジャーナリストは素晴らしい仕事をしています。英雄と言うと戦争臭がキツくちょっと違うとは思いますが、決して非難される仕事では無いと考えています。

気にくわない人は読み進めないでね。

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なぜ自己責任論なのか?

戦争ジャーナリストは危険を承知の上で戦地に赴きます。「自分の意思で勝手に行ったのだから、何かあっても自己責任でしょ?」というわけです。

なるほど、確かにその通りです。

過激派組織に捕まってしまい、救出作戦や身代金の支払いで仮に救出されたとしても、自分勝手にやったことなのだからその為に費やされた費用やお金は本人に負担させろというのは理に適っています。何なら救出作戦で亡くなられた兵士の代わりに死ねというのも理解できます。

更に、身代金のケースでは要求した組織に資金を与えることになってしまい、戦争の拡大を招く自体にもなります。

また、今回解放された安田純平さんの案件ではカタールが身代金を肩代わりしたということで、日本政府に貸しを作ったとも報道されています。

つまり、自己責任論では、戦争ジャーナリストは人様に迷惑をかけ、お金を負担させ、更には間接的に戦争を拡大させる最低な職業。そんな奴は自己責任でのたれ死ねばいいという論調です。

自己責任論は短絡的視点

ここから僕の意見です。

自己責任論は非常に狭い視野で語られた論調です。タレントがどうこう言うのは気にしませんが、有識者が賛同するのを見ると残念に思えます。

自己責任論では、拘束されるなど戦争ジャーナリストが何かしら迷惑をかけた時点がスタートとなっています。

迷惑をかけることは確かに悪いことです。でも、これこそが必要悪、いや、避けられない悪ではないでしょうか。

自己責任論者は彼らの仕事がもたらす有益さについて、多少なり評価しているとは思いますが、過小評価ではないでしょうか?

確かに、彼らがもたらす利益は目に見えず効果も測ることはできません。気付きにくいものですので評価できないのも分かります。書いている僕も後藤さんの事件当時は「自己責任だからほっておけばいいじゃん」と思っていました。

でも今の僕は彼らの仕事を評価し、称賛する立場になりました。分かりにくいものですが、もう少し俯瞰で彼らの仕事を見てほしいと思います。

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戦争ジャーナリストがいなかったら?

戦争ジャーナリストの仕事は、第三者が戦争・紛争を世界に伝えるというものです。この「第三者」がポイント。もし、彼らがいなければ戦争は誰によって報道されるかを考えてみましょう。

この場合、戦争を報道するのは主に以下の人々。

  • 戦争当事者
  • 戦争地域のメディア
  • 第三国の政府機関や国際機関
  • 戦争地域に住む人々(FacebookなどのSNSなど)

戦争当事者・戦争地域のメディア

戦争当事者・戦争地域のメディアが報じる情報は、大きな思惑の元に情報操作が行われます。不利益な事実は隠され、自分たちの都合の良いものだけを報じる、または都合の悪い情報は歪曲して報じます。

もちろん、メディアの中には公正な情報発信をしようとするジャーナリズムを持っているケースはあるでしょうが、様々な圧力がある中では難しいでしょう。それに当事者ですので何かしらの特定のスタンスを向いての発信になるはずです。

第三国の政府機関や国際機関

第三国の政府機関や国際機関は偏った報道には一見ならないように思えますが、政治の世界の住人です。様々な思惑が入り乱れていていますので、情報統制は必ず行われます。国際機関であってもです。

また、リアルタイムに情報発信されることは少なく、また発信される情報はごく一部のものとなります。

戦争地域に住む人々(FacebookなどのSNSなど)

SNSを用いて個人が世界に向けて情報発信ができるようになりましたね。その影響力は大きく、「アラブの春」が訪れるほどです。

生の声が世界中に届くようになった訳ですが、彼らからの情報発信にもいくつかの問題を抱えています。

1つは情報発信源が比較的安全圏で暮らす一般人であるということ。インターネットに接続できる環境があり、撮影する余裕があり、また生活に支障が出ない範囲でしか情報発信できません。

もう1つは情報の信憑性です。アメリカ大統領選挙(トランプvsヒラリー)で広く知れ渡ったフェイクニュースですが、一般市民が発する情報の真偽を確かめるのは困難です。そのほとんどは真実を伝えるものでしょうが、例えば悪意を持った組織が人民を先導して一方的な情報操作をしないとも限りません。

戦争ジャーナリストの役割

戦争ジャーナリストがいなければ公正な情報を得ることが難しいことが分かったと思いますが、戦争ジャーナリストが必ずしも真偽を伝えるかという疑問も残っています。

あくまで僕の私見です。彼らが職業として戦争を取材する理由はジャーナリストによって異なると思います。収入を得るためだったり、自己表現・自己欲求のため、自分の主義主張のためなどです。

お金のためであれば情報を歪曲することもあるでしょう。自己表現は芸術活動、自己欲求は趣味・嗜好という意味で使っていますが、紛争域で手に入る何かを自分のために求めている場合もいるでしょう。

主義主張は「こうあるべき」であったり「正義感」、「世界平和を望む」などです。「こうあるべき」はジャーナリストの思想を発信することになりますので、公正さを欠くことになります。「正義感」も独善的という言葉がある通り、必ずしも正義ではありませんし、やはり個人の思想です。

一方で「世界平和を望む」も思想であり主義でありますが、世界平和こそが人類が到達すべき世界であり、戦争ジャーナリストに期待していることです。戦争の闇を暴き、そこで何が起こっているかを正しく伝える。それが世界を動かして直接的に戦争を終わらせる力のひとつにもなり得ますし、今後起こり得る戦争を未然に防ぐ役割のひとつにもなります。

戦争ジャーナリストといえども「人」ですので、僕は潔癖さは求めていません。ですが、身の危険を冒してまで職を全うするその姿からは、ほぼ全てのジャーナリストは世界平和のために活動しているとしか思えません。様々な思惑があるとは思いますが、やはり一番信用できるソースと言えると思います。

また、隠蔽されている情報や当事国の一般市民が得られない情報は戦争ジャーナリストでしか入手・発信できません。これらの情報は非常に重要で、戦争・紛争を少しでも人道的なもので終わらせるためには、その闇を世界に伝えることが必要だからです。

戦争時の非人道的な行為は、戦時中はもちろん終戦後にも大きな影響を与えます。非人道的な行為は世界から糾弾され、支援組織の反故を招き、孤立していく原因になるからです。もし、非人道的な行為が隠蔽できるものと考えられれば、もしくは気にする必要の無いものだと捉えられればどうなるか。ナチスによるユダヤ人虐殺やベトナム戦争での枯葉剤による後遺症、核爆弾の使用などはきっと繰り返されていくことになります。また、虐殺・略奪・破壊・レイプなども然り。大規模な虐殺は近年あまり耳にすることは無くなりましたが、これら全ては小規模なものであれば戦時中は当然に起こり得るものです。義勇軍でも起こり得ます。

戦争ジャーナリストはこれらの出来事も世に伝えることができます。彼らの存在は戦時中に起こる悲しいできことを防ぐ抑止力もあると思うのです。

戦争ジャーナリストへの否定意見と自己犠牲の精神の押し付け

自己責任論を掲げる方は、戦争ジャーナリストのマイナス面が大きいからだと思います。確かにマイナス面は大きいです。

例えば日本人の場合。日本人ジャーナリストが拘束されれば、日本政府は国民を守るため、状況を把握するために相当の労力を費やすことになります。現地大使館・外務省・警察等々、おそらく何百人もの人が拘束された1人のために動かなくてはなりません。

さらに身代金を支払うこととなれば、そのお金が戦争に使われることになり被害の拡大を招きます。

また、第三国が動くとなれば、日本に対して恩を売ることになります。日本政府の立場からすれば強力な交渉カードを持たれてしまい不利になるとも言えます。

確かに、これだけのマイナスをもたらすのであれば自己責任論を肯定したくなるのも無理はありません。日本人的思考で捉えてみれば「どれだけ人様に迷惑をかけるねん!」という話ですからね。

おそらく、自己責任論の根源は「他人に迷惑をかけないこと」という日本人の美徳からではないでしょうか。視点を変えれば「自己犠牲の精神」の押し付け。当然そうあるべきだと日本人の多くが盲信する姿を戦争ジャーナリストに押し付けていると思うのです。

戦争ジャーナリストの功績は日本人には響かない?

一方で、彼らの功績はどうでしょうか?

戦争ジャーナリストがいなければ情報のリソースが一つ失われることになります。彼らの行動がどれだけ世界平和へ寄与しているか数値化されていないので客観的な材料は用意できませんが、戦争ジャーナリストによる情報は莫大なもの。そして、貴重なもの。

海外では戦争ジャーナリストはとても評価されているそうです。「彼らがいなければ何が起こっているか分からない」からだそうです。

対する日本はというと、情報に溢れ、言論統制も表向きにはなく、「知りたい」という欲求が乏しいため、そうした評価がしにくいのかもしれません。また、戦争が遠い昔のこと、海を隔てた異国の土地だからかもしれません。

とは言え、日本人が大好きな情報があります。ワイドショーです。

日中の民放はどのチャンネルをつけても同じニュースを取り上げています。一度残酷な事件が起これば徹底して関係者を探していきます。その際に対象者の人権は無視されるほど無茶で失礼な取材合戦が起こる訳です。芸能人の不祥事や離婚騒動などもウンザリするほどの盛り上がりを見せます。

ワイドショーの報道という仕事と、戦争を報道する仕事、どちらが価値があるものかと聞かれれば戦争と答える方が大多数を占めると思います。取材の意義を問われても戦争となるでしょう。この判断に従えば戦争ジャーナリストのマイナス面を考慮したとしても、賞賛に値するはずなのですが…

興味がないから評価できない

それはやはり、戦争が対岸の火事であるからでしょう。

人は身近な事にこそ価値を見出すものです。自分とは関係のない話に興味を持てないことは当たり前です。興味があるから不倫問題を追いかけてしまいますし、隣町で起きた殺人事件の犯人像を知りたくなり、洗濯物を干すから天気を知りたいんです。ミサイルが降ってこない、兵隊が上陸してこないと信じている限り、大多数の方にとっては興味ない事であり、対岸の火事を取材する戦争ジャーナリストを評価するほどのものではないと捉えているのではないのでしょうか。

戦争ジャーナリストが人の心を動かす

正直、僕自身は戦争に興味はありません。戦争は反対ですし、悲しい出来事が世界から無くなればいいなとも思っています。でも、イスラム圏、さらには世界中で起こっている悲しい出来事は対岸の火事とも思っています。何人死のうが、胸がいっぱいで食事が喉を通らないなんてことにはなりません。ただただ、子供が幸せに暮らせればそれでいいです。家族が、友たちが、知っている人が無事だったらいいです。

ただし、これはあくまで一日本人の、1億人分の1の意見です。もちろん、僕よりも戦争について真剣に考えている人は大勢いますし、反対に全くの無関心の方も大勢います。戦争の報道がなければその意見は何も変わりませんし、むしろ時間とともに興味を削がれていくでしょう。

もし、彼らの活動が日本人の1%の心を動かすものなら?さらに1%が真剣に向き合う事になれば?さらに1%が政治家や閣僚、または資産家の心を大きく動かせば?このパーセンテージだと日本のキーパーソンを百人動かすことになります。この数値がどうなのかは各人の感性に委ねますが、より良い世界を創るためには戦争ジャーナリストの仕事は必要不可欠とは思えないでしょうか。

また、アラブの春のように一大ムーブメントを起こすかもしれません。彼らの仕事は間違いなくトリガーの1つです。

最後に

最初は多少構成を考えて書いていましたが、書けば書くほどいろいろな考えが浮かび、伝えたい内容が増えてしまい取り留めのない話になってしましました…すいません。

ただただ、自己責任論に異議を唱えたかっただけです。2018年10月に安田純平さんが解放され、びっくりするほどの自己責任論が叫ばれていることに憂慮しただけです。

彼の場合は日本政府に敵対するようなメッセージを過去に発信しているせいもあるかもしれません。「嫌いな奴はいじめてもいい」という幼稚な発想です。

いずれにせよ、戦争ジャーナリストのマイナス影響を短絡的に捉えず、俯瞰的・中長期的視点とともに、「1人の命の重み」を皆さんが少しでも感じ取っていただければ幸いです。

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