子どものしつけ~大阪府和泉市の小学生ボーリング玉事件より~

主夫業&育児

大阪府和泉市の集合住宅の上階からボーリング玉を投げ落とした!しかも容疑者が小学生!

http://www.sankei.com/west/news/170605/wst1706050067-n1.html

 

子を持つ親としては、なんとも恐ろしい事件。

被害者がいないのが救いですが(器物損壊という意味ではいますが)、ヤフコメには「少年法で守る必要なし」「厳しい罰則を」というコメントで溢れています。

 

いくつか責められる対象が挙げられると思いますが、主観で語らせてください。

僕としては、親の責任8割、その他2割だと思います。

 

「○○したら危ないからしてはダメ」と教えるのは、やはり親(保護者)の役目。

 

高いところからボーリング玉を落としてはダメと教えることは普通あり得ませんが、子どもに危険を想像させる、予測させる力をつけさせてあげるのは、保護者の務めです。

自分1人ではなく人間社会で生きていくわけですから、ルールは当然として、人の迷惑や危険については考えさせなければならないと思います。

 

ただ、それを子どもに教えるのは簡単でも、身に付くのは別問題です。

 

ちょっと話を迂回しますが、子供って好奇心の塊なんですよね。また、感情を抑えきれない

うちの子どもは小学校1年生と年中なんですが、いろんな事に興味を持ちます。「なんで?」「これどうなってるの?」と毎日質問されて僕は辟易してます(´・ω・`)

こうした疑問、自分の手で簡単に試せるなら子供ってやっちゃうんですよ。だから危ないモノには触らせない、近寄らせないという保護者の努力や教育が必要になってきます。

 

うちの子は女の子なんですが、料理に興味があるようで、包丁を使いたがる時があります。

時間があるときや、また僕のメンタル的な余裕があるときは使わせてあげるのですが、危ない使い方をしたときには必ず注意します。また、注意とともに、どういう危険があるかを伝えるようにしています。自分の指を切らないようにするのは勿論ですが、包丁の置き方、置く場所なども指導です。

なぜなら他の人をケガさせるかもしれないからです。

 

また、一人では絶対に使わせたくありませんので、「親がいるとき以外は絶対に使わないように」という趣旨のことを念入りに言っています。

 

そうは言っても勝手に使うこともあるんですけどね。

でも、それは子供なりにも「ここまでの事なら私一人でもできる。」「これは危ないからやめとこ」という判断が徐々に出来てきているからです。

そして、その判断が大きく間違っていない。まあ、過保護すぎて「アレもコレもダメ」というのは僕の教育方針ではないので、子の成長と捉えて多少は大目に見てあげているんですけどね。

とは言っても軽く怒りますよ。そして、「次からはパパかママが見ている時だけにしてね」という言葉も添えます。そして、そのうち何も言わなくなる予定。

 

この僕の教育がどれだけ素晴らしいのか、それともダメなのかは一旦置かせてもらいますが、少なくとも好奇心の発揮の仕方は正しいものを習得できると考えています。

 

「こうしてみたい」「次はこれをやってみたい」

という感情を、

 

「この野菜は固くてケガをするかもしれないからパパと一緒にやろう」

「妹が包丁触ってケガするかもしれないから流し台の中に置こう」

と考えることによって、感情をコントロールできていることを感じますので親としてはうれしいです。

 

また他にも、家の中であれば、ハサミ、コンロ、熱いもの、重たいもの、高いところetc…保護者の方はどれも全て「危ないモノ」として教えていますよね

足りていないのは「身に付けさす」ことだと思います。ちょっと抽象的すぎるので言い直します。「危ないモノを安全に使えるようにする」ことが保護者の責務だと思います。

 

残りの2割は?

2割と括っておきながら、いくつもあります。

 

まず1つ。

子育てって、親だけで完結しないんですよ。子供を取り巻く大人全てが、大なり小なり子育てを担っていると考えています。

また、人間は誰かに影響されて生きていくもの。ましてや子供はそれが顕著。だから、周りの大人の責任もあると思います。

 

影響力のある大人が間違った方向に影響を与えたりということは、地域の問題にも紐づけることができます(ガラが悪い地域など)。

影響力を発揮すべき大人が時代や風潮のせいで発揮できないというのは、教育現場や近隣住民の問題とも言えます。良し悪しは置きますが、体罰やキツメの指導ができなくなったり、人間関係の希薄さが要因とも言えます。

 

そしてもう1つ。

こうした社会構造を改善できない日本国が悪い

いや、別に右翼でもないですし、昔は良かったなんて言うつもりもありません。

 

時代とともに社会構造は変化します。これ当たり前。過去に上手くいっていたことが現在・未来に当てはめても上手くいくとは限りません。

 

僕の主張としては、先ほど述べた時代・風潮の変化は当然存在すると受け止めながら、全く違う手法・手立てを講じるべきというものです。

人間社会なんて、しょせん烏合の衆ですから。間違っていても右向けといわれりゃ右向きますよ。時代の変化に任せていても正しい方向に進むとは限りません。

 

こんな偉そうに言ってしまいましたが、答えは持ち合わせておりません。ただの一介の主夫ですので。

多種多様な社会・生き方がある日本において一元的な解決方法は無いとは思いますが、何かいい仕組みつくって偉い人!

 

少なくとも、地域社会との関係性も少ない、核家族の共働き世帯の親にだけ責任を押し付けるのは酷です。

 

ようやくボーリングの話に

今回の事件を起こした小学生達は、ボーリング玉を高いところから落とすことは危ないことだと知っていた。

でも、好奇心・衝動やノリ、勝てなかったのではないでしょうか。

 

分かっちゃいるけどやめられないという心境です。これ、大人でもありますよね?

 

どこまでやめれるかというのは子供の素養が多少なり要因になると思いますが、やっても問題無いと思える思考のハードルを保護者が引き上げるべきです。

 

 

「面白そうだからやってみよう」と言い出した子供も、賛同したのか止めれなかったのかは知りませんが他2人も、危険に対する意識が低すぎると言わざるを得ません。

また、そうした子供にしてしまった保護者にも責任8割はあると思います。

そして周りの大人と日本国が責任2割。

 

 

少年法について

この事件に関して言えば、法改正して厳罰してほしいというのが率直なところです。

でも、法改正っていうのは場当たり的だとも思うんです。だってまだ小学生ですし。

ヘタをすると小学生たちの未来を奪いかねません。人を殺してしまってからだと遅いという話はありますが…

 

抑止効果もどれほどのものかは眉唾もんです。児童相談所行きと刑務所行き、おしりぺんぺんの刑、いずれにせよ、子供達は悪いことをすれば、どれほどの罰を受けるか現実的に考えられないと思います。

死刑や指をちょん切られるなどの罰を受けるとなれば、恐怖を感じるでしょうが、それは無理な話で。

 

そんなことよりも抜本的な改革を

構造改革なるものと言いましたが、子を作ったのは親であり周囲の大人です。またその大人を作ったのは社会であり日本です。

子供の特性を鑑みて、ボーリング玉を高所から落とさない子供を育てることを考えないといけません。それ以外は対処療法の域をでません。

 

このロジックで行くと、国が抜本的な改革をするしかないんです。だって親だけではなく大人、社会が悪いんですから。

 

ということで私案を1つ。

 

小学校や中学校の義務教育中に、子育て論を授業に組み込む。

良い子育てが、良い大人を作り、そして良い子供を作るという好循環。

まあ、そんな単純なことではないでしょうが(´・ω・`)

 

 

「子育てって親の素養や主観に任せすぎ」と思う親7年目の主夫です。

誰か教えて正しい子育て!

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